One may as well be hanged for a sheep as a lamb.




Fool's w
ater





赤いワインは好きではなかった。
むしろ酒全般が好きではない。そもそもニアは「酒に酔っぱらう」という状態を明確に体験したことが無かった。
いつもどこか冷えているニアの脳は、酒の成分が内側に届く前にシャットアウトしてしまうらしい。酔うことができない以上、酒は不愉快な代物でしかなかった。
渇きを潤すだけならミネラルウォーターで事足りるし、喉に甘さを与えたいなら果実のジュースで十分だ。焼け付くように喉に引っ掛かるしつこさを持って流れていく酒は、飲料水として不愉快極まりない。おまけに胃に入ったあともじわじわと胃壁から酒精を染みこませて胸焼けを起こした。
ニアはせめても舌に優しい果実酒の入ったグラスを前に、片膝を抱えて目を据わらせていた。片方の手を伸ばして、繊細な作りのマドラーをぐるぐるやっている。溶けかかって角が取れ、丸くなった氷がコロコロと音を立ててグラスの中で回っている。
単調な動きは溶液を均一にするには事足りず、グラスの下の方には濁ったリキュールが沈下し、上半分は溶けた氷の水分で向こう側が透けて見えた。グラスの底では砂糖漬けの毒々しい色をしたチェリーが水の動きに遊ばれて踊っている。
単調な水の運動は面白くも何ともない。沈んだチェリーも何の仕掛けもないただのチェリーで面白くも何ともない。
しかし隣のメロが怒るのでトランプやマッチ棒にも手を伸ばすことが出来ず、思索に耽るにも機嫌のいいメロの存在がそれを邪魔している。
ニアは不味い水を前に八方ふさがりで、機嫌が斜めに傾きかけていた。



「………」
「辛気臭い面で飲むなよ。酒がまずくなる」
ボルドー型の洒落たグラスに注がれた赤ワインは、上品と言うには少し量が多すぎる。ワイングラスを手にごろごろと音を立てながら口を動かしていたメロは、プッと口の中のマカダミアナッツを灰皿に吐き出してそう言った。そしてプレートからもう一つ、ルームサービスのマカダミアナッツチョコを頬張る。
「私は元からおいしいとは思えません」
ニアはマドラーを放り出して、斜め横に座るメロにじとりとした視線を遣った。
深夜というにも遅すぎる時刻、部屋に戻ってくるなりルームサービスを頼んだ時からすでにメロは酔っ払っていたようだ。メロは酒に酔って思考力を失うようなことはないが、いつもよりもさらに数段気分の変動が激しくなる。
ニアの嗜好を分かっているくせに酒を執拗に勧めてくるメロは、おそらくニアが理解できない感覚を知っていることに優越を感じているのだ。だからニアが拒んでもいつものように怒り出さないのだろうとニアは推測した。
「それは、本当に良い酒っていうのを知らないからだ。ガキなんだ。ニアは」
高低を付けた口調で嘲るが、顔は無邪気に楽しそうだ。
ニアは膝に下あごをくっつけたまま、唾液に濡れたナッツの山に視線を送ったが、あえて何も言わなかった。せっかくの彼の上機嫌をつまらないことで崩したくはない。

楽しそうに酒を飲むメロを見ると、ニアは少し羨ましい気分になった。だがニアが酔えないということにも居心地が悪いことにも変わりはない。その上ちびちびと不味い液体を飲みながら時間を潰す趣味もない。どうせ二人で過ごすならもっと楽しいことがしたい。
「………」
「せっかく高い酒を注文したんだ。ちょっと飲んでみろ」
メロはどうしても気に入りの酒をニアに飲ませたいらしい。チョコレートリキュールならばまだニアにも好ましかったものを、このホテルは用意がないらしくメロは愚痴をこぼしながらワインを頼んだのだ。
澱んだ色のボトルに収められた赤いワインは、メドック産のカルベネソーヴィニヨン。高級なものらしくクラシックな字体で地方名や葡萄畑の名前まで書いてある。しかし肝心の味の良さが分からないニアには産地やヴィンテージなどはどうでもいいことだった。
「赤ワインは渋くて嫌いです」
ニアがそう言うと、メロはチョコレートを咥えたまま馬鹿にするような笑いを浮かべた。
「ニアは子ども舌なんだ」
「味覚の嗜好は十人十色ですから」
「いいから一口だけ飲んでみろって」
メロは強引にボトルの口をニアの方に向けた。
「………」
ニアは無言で自分のグラスに目をやる。そこにはすっかり温くなった果実酒が、文字通りなみなみと残っていた。グラスの表面は汗をかくどころか、すっかり冷えた水滴をテーブルに溢しきっている。
メロは苛立たしげにナッツを吐き捨てた。

仕方なく自分のワイングラスをニアの方に差し出そうとして、ふと悪戯を思いついた子どものような笑みを浮かべて手を止めた。
「そうだな」
メロは古めかしいラベルの貼られた瓶を再び手繰り寄せると、行儀悪く足を組んだ。
そしてあろうことか片方の手を受け皿に、ワインの瓶を傾ける。
「………」
ニアはエキセントリックな彼の行動にはすっかり慣れっこで、ぽたぽた赤い雫を垂らす彼の手のひらをじっと見つめていた。
「飲めよニア」
瓶を揺らしながら手のひらを差し出す。濁った刺激的な赤は彼の白く健康的な肌に良く合っている。
酔っている彼は相変わらず上機嫌だ。給仕の少年に戯れに酒を勧めるローマの諸侯のような、高飛車で退廃的な態度だった。受け止めきれずぽたぽたとこぼれる雫がメロの高く組んだ膝を濡らしている。ニアは小さくため息をついた。
どうすればニアが言うままになるのか、メロは完全に把握しているのだからかなわない。ニアはうやうやしくメロの左手を取った。

唇をすぼめてメロの手のひらをグラスにワインを飲む。ずずっと吸い上げるとメロはくすぐったそうに息を漏らした。
人肌で温まったワインは不愉快極まりない舌ざわりで、強い酒気が鼻にまで流れ込んで目眩がした。渋みのせいで舌や口の内側にびっしりと産毛が生えたような感じがする。
「うまいだろ?」
「ぬるいです」
ニアはぺろりとメロの手のひらをなめると、眉を顰めてそう言った。その言葉にむっとしたメロはもう一度瓶を傾ける。瓶の中のワインがとぷんと音を立てて揺れた。
ん、と手のひらを差し出す。その手を受けるニアの手も白い上着の袖も、肘のあたりまで赤い雫で濡れていた。

ワインを飲み下しても、メロの手のひらは薄赤く染まったままだった。ニアは餌付けされた動物のようにメロの手に舌を這わせる。ざらざらした自分の味蕾をメロの肌で馴らすかのように何度も舐めあげた。
舌を尖らせて手のひらの中心を擦るようにすると、メロが少し息を詰めたのがわかった。
「・・・腹すかせた野良猫みたいだな」
メロはくくと笑って、赤ワインを瓶のまま行儀悪く煽る。
それを上目遣いに見遣ると、細い喉が鳴る前にニアは素早く体を起こした。
「!」
一瞬面食らったメロも、眼前に迫るニアの顔を見てすぐに意図を察したようで、軽く目を細めた。
メロの口腔から直接もらうワインはやはり少しぬるかった。渋みで舌がいやらしく痺れる。じゅ、と音を立てて酒気のせいでひんやりしたメロの唇を吸う。飲み終わるとニアは荒れた舌の表面でメロの唇を撫でつけた。
「ふ」
メロは愉快そうに笑うと再び瓶に口をつけて煽った。その目には明らかに挑発の色が浮かんでいる。
化粧でもしたように色づいた唇の端から、唾液の混じったワインがひと筋ふた筋零れ落ちた。ニアは舌を尖らせてメロの肌をつたう赤い筋を追っていく。舌が顎のラインをたどって首筋に降りると、メロは小さく首をすくめた。歯で邪魔なシャツのファスナーを中ほどまで下げてしまう。赤い流れは鎖骨の辺りで途絶えてしまったので、ニアはそこに歯をたてた。
「いっそのこと体中にワイン浴びたい気分だ」
首もとで動くニアの頭をゆるゆると撫でながら、メロは楽しそうに言った。
ニアはそれを聞くと、いまだ機嫌のよい彼の顔を見て自分もにっと笑った。




メロのすんなり伸びたふくらはぎは、葡萄踏みの処女のように赤ワインで濡れている。膝の関節をつかんで唇を寄せると、メロはくすぐったそうに鼻を鳴らした。
すでにベッドシーツは赤い染みを幾つも散らして裸の肉体を受け止めている。揺れる白と肌色、その横に点々と散らばる赤が初夜の名残のようで官能的だ。
金色の体毛を浮かせた赤い液体を舌で丁寧に絡めとる。すでに舌の表面は長年使い込まれた絨毯のようにすべらかになっていた。
舌先に感じるワインの味は、量を増すごとにだんだん舌から頭の奥までを痺れさせるようになり、もしかしたらこれは酔っているからなのかもしれないとニアは思った。とぷんと音を立ててワインが揺れる。
照明のせいでメロの肌はいつもより白々としている。体中に赤い酒を光らせ、つま先から頭のてっぺんまで酒精に溺れる自分たちは中世の堕落した貴族みたいだ。倒錯的な行為の中口の端を持ち上げて宙を仰ぐメロを見てニアはそう思った。

ニアはメロの折れそうに細い足首に触れる。
メロの右足のくるぶし辺りには、小さなほくろがひとつある。忘れ物のようにぽつんと落ちているそれを、ニアは指でいじるのが好きだった。取り憑かれたようにいつまでも同じ場所をいじり続けるニアに、メロはいつも鬱陶しいから止せと言う。
踵を掬い上げるようにしてメロの足を持ち上げる。くるぶしに触れるとメロはやはり不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
ふくらはぎに流れたワインが、足首から踵の辺りまで赤い筋を残している。普段日光から守られている白い足と、端整に作られた菓子のような指はまだ汚れてはいない。
ニアは赤い筋を舌で辿りながら、ほくろに口付ける。そのまま戯れに足の甲に浮き出た筋を唇でたどった。
「・・・は、っ・・・」
足の甲に口付けた瞬間、メロが酷く高ぶるのがはっきりとわかった。
唇を当てたまま目をやると、頬を上気させてこちらを見ている。目線はニアに続きを促していた。どうやらこれは気に入ったらしい。

とぷんとワインが揺れる。
血のように赤いワインで濡れたメロの足に口付ける。
「ん・・・ニア」
丹念に指の間を舌でなぞるようにすると、メロの足がびくんと大きく震えた。
メロが達するときの仕草のようだ。ニアは強い興奮を覚えた。今すぐメロの中に深く入り込みたいという欲求が湧き上がる。
一旦そう思うとニアの行動は早い。膝を割って、メロの足の間をあらわにする。全身に酒気とニアの舌を受けてくったりしていたメロの体は、心地よく重たかった。
ニアは何の前振りもなくワインで濡れた指先をメロの尻の間に押し込んだ。
「痛っ・・ニア!痛い!」
うっとりと赤く染まっていたメロの頬が、違う意味で紅潮する。粘度のかけらもない赤ワインは潤滑の役に立たず、ただメロの入り口をぎりぎりと擦るだけだ。
「ニア、やめろって!熱・・・・痛い・・・」
アルコールが染みるのだろう。メロの目は生理的な涙で潤んでいる。
気の毒だとは思ったが、ニアは早くメロの中に入りたいのだ。抗議の声には耳を貸さず強引に指を増やして押し広げると、それでもニアを受け入れ慣れているそこはひくつきながらなんとか指を飲み込んだ。
前後に揺らすとメロの口からううとうめき声が漏れる。薄く締まった腹筋が痙攣している。小刻みに息を吐いて力を逃がし、なんとか痛みの和らぐ体勢を整えているようだ。ニアはそろそろ大丈夫だと判断し、メロの手首を掴んで体をうつぶせに押さえつけた。
「おい、に・・・・っーーーーーー!」
かなり無理のある挿入だったようで、メロは声にならない悲鳴をあげる。中ほどまで入れてしまうと、あまりのきつさにニア自身にも痛みが走った。
「メロ、少し痛いです・・・もう少し緩めてください・・・」
「あ、・・い、痛いのはこっちだ馬鹿野郎・・・ちょっと待っ・・て・・・・」
シーツに這いつくばるような格好でメロはぜぇぜぇと息をする。つながった部分からじんわり酒精の熱気が伝わってきて、ニアの頭を痺れさせた。メロの体が少し緩んだのを感じ、一息に残りを押し込んだ。
「うぁ!あ」
メロは背をのけぞらせて再び悲鳴をあげる。汗を浮かせた滑らかな背中から、ワインの芳香と甘酸っぱい汗の匂いが立ち上った。
薄く浮いた背骨にキスをして、うなじを舐め上げる。メロの肌のほろ苦い塩辛さがワインで麻痺した舌に心地よかった。頚椎のくぼみを舌で辿っていると、苦しそうに喘いでいたメロはうっとり息を吐いた。ニアはメロの腰に手を回し、穿つように律動を始めた。

メロは低く呻きながらニアの性器を受け止める。絞り出すように引きつったその声も、出し入れを繰り返すと少しずつ色合いを見せてきた。
メロは自分で腰を動かし、少しでも気持ち良いところにニアを導こうとする。ニアは自分が動いている時に動かれるのがあまり好きではなかったが、そんな些末なことを口に出すつもりはない。代わりに自分も強く快感を得られるように深くメロの奥を抉った。さらに高い声が上がる。
腰を支えていた伸びやかな脚が空中を蹴るように小刻みに動いている。メロがたまらなくなっている証拠だ。繋がっている部分からニアにもメロの高揚が伝わってくる。
「っ、ニア、ぁ………!」
薄赤い葡萄の色素に染まった手でシーツを握りしめ、腰を付きだしてニアの名前を呼ぶ。上擦った彼の声で呼ばれるとニアの頭はこれ以上ないくらい白熱する。ニアはメロの腰を抱きかかえるようにして、強く体を密着させて果てた。
「……は、」
深く息を吐き出すと、吐息がいつもより数倍熱い。頬に当たるメロの体から立ち上るワインの香りにニアは半酔した。
ふと見ると、メロが息を荒げたままとろりとした恨みがましいような視線をニアの方に向けている。ニアのペースに付いて来られず、まだ達せなかったらしい。頬を火照らせてひくひくと体の末端を震わせていた。
ニアは手をメロの前に持っていくと、先走りを絡めた手のひらで包んでやった。指の一本一本で締め付けてやり、性急に上下に扱くと程なくメロは猫のように身を仰け反らせてニアの手の中に吐き出した。




汗に濡れた体が緩んで冷えないよう、ニアはシーツでメロの体をくるんだ。
解放の後で気怠げな体はそのまま抱き寄せても大した抵抗はない。ただ、淡い金色の髪に触れた指は勘に障ったようで、ニアの腕に抱かれたまま子どものように唇を尖らせた。
柔らかい感触を楽しんでいると、ニアの全身に猛烈な気怠さが襲ってきた。金の髪がするりと指の間をすり抜ける。
「ニア?」
声のする方を向くと白んで霞みつつある視界の端にメロの姿が引っかかった。頬に当たるシーツの香り。ニアは無理矢理に瞬いた。
「……すごく眠いです」
「はぁ?」
「一緒に寝ましょう、メロ……」
メロの体はとてもあたたかい。腹の辺りに額を付けると、重たい瞼を支えているのに限界がきた。
「こんなぐちゃぐちゃなベッドで眠れるか」
「……それなら、私の、部屋に………」
途中で口は動かなくなって、それからニアは暗闇に攫われた。





言葉が終わらないうちに、ニアはすーと寝息を立て始めた。
一部始終を見ていたメロは呆れて身を起こす。
余韻に浸る間もない。酔えない酔えないと漏らしておいて、いきなり崖から落ちるように潰れるなんてつくづく損な男だと思う。
力の抜けた肩を押してウエストに回った腕を引きはがすと、ニアはうーんと唸ってメロを探すように腕をばたばたさせた。可愛らしいと言えなくもない仕草だが、濡れた下肢を隠しもせずシャツだけを引っかけた淫猥な姿では滑稽としか言いようがない。
馬鹿馬鹿しい。後始末なんかしてやるものか。
目がさめた時の間抜けな格好に慌てるニアを見る楽しみが出来た。メロはそう思って嬉しくなり、少しだけ笑ってからそれが馬鹿馬鹿しいことだと気付き、僅かに額に皺を寄せた。

長い時間をかけて優れた機知を認めさせられたこの相手が、存外馬鹿だと気付いたのはごく最近だった。施設にいた頃から間の抜けたところは多々あったが、最近は特にそれが酷い気がする。馬鹿馬鹿しいきっかけで始まった馬鹿馬鹿しい暮らし。
それでも想像していたより余程、
「っ!」
メロは床に転がる瓶を思い切り蹴り飛ばした。馬鹿な。懐柔されてなるものか。
瓶はごろんと転がってテーブルの脚にぶつかり、痛々しい音を立てた。ニアの代わりだ。
腹を立てたのは彼の行動やこの馬鹿げた遊びに対してではない。だから余計悔しい。気付かなくて良いことに気付かされてしまった。
メロはばさりと身を包んでいたシーツを剥いだ。酒に浸かった葡萄の芳香と、ニアの匂いがする。食傷だと思う。
泥遊びをした子どものような体でバスルームに向かおうとして、つと立ち止まる。そして、戻った時その腕がまだ心地よい温度を保っていられるよう、メロはだらしなく横たわるニアの体を汚れたシーツでくるんだ。

寝腐れながら満足気に呟かれた自分の名前をメロは聞き逃さない。
テーブルの脇に転がるワインの瓶を、メロはもう一度思い切り蹴った。



《終》











〈2005/06/14〉
灯台の続きです。普通に隣に住んでてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。3回ぐらい謝っておきます。
単にワインと足舐めが書きたくて。あとマカダミアナッツ。「粘膜からアルコール」は死ぬ可能性があるので真似しないでください。
すね毛とワインの話で友人と異様に盛り上がってしまったのでメロにもすね毛を。なんだか彼は無駄に剃ってそうで怖いです。
一番上の英文は「毒を食らわば皿まで」。皿まで食った挙げ句酔っぱらってるのはニア。ちなみに私も今灯台シリーズに対してそんな心境です……。