君の欠片/Piece of you


  「会いたい子がいるんだ」

君を形作る全てのものを忘れないように。


























彼は草むらに埋もれるようにして座っていた。
門を出る前から目に付く。舗装されてもいない小道を挟んで、真っ正面に紺色の胴着の丸まった背中。
後ろをすり抜けてそのまま帰ったら彼は自分に気付くだろうか。
総当たりの地稽古とはいえ、先程一度剣を合わせた仲。あいさつも無しに帰ったことに気付かれるのは少々ばつが悪い。でも多分、人がそういう方向に気を回すことを彼は予測などしない。
口を利いたのは一度。剣を合わせたのは今日で二度。変わらなかった。多分彼はなにも考えちゃいない。
「松谷」
「・・・」
「松谷!」
口調を強めると、やっとこちらを振り向いた。
「小田ぁ」
ほとんど口も利いたことがないのに、どこからこんな親しげな態度が出てくるのか。一歩間違えば、いやどう考えたって馴れ馴れしい。理解を超えている。
「・・・・」
小田は再び口を開こうとして、開く前に考える。どう言えば、親しくもないこいつに声をかけるに値する、もっともらしい理由になるだろう。
本当は声をかける前に考えるべきだったのだ。こいつを見ていると調子が狂う。
「何?今から帰るの?遅いなお前」
逡巡している間に、松谷の方に先手を取られた。しかし内心ほっとする。
「師範の片付けを手伝ってたんだ。ぐずぐずしてて遅れたわけじゃない」
「別にそんなこと言ってねぇよ」
「君こそなんだ?そんな格好のままぼんやり座って」
「ん?」
馬鹿みたいに笑顔を浮かべたまま、松谷は視線を前に戻す。
「川だよ。川」
「川?」
「ほら、キラキラ光ってきれいだろ?」
川面を指さす修造は本当に楽しそうだ。
本当に足りないんじゃないか、こいつは。老人じゃあるまいし、夕暮れ時に草むらに座り込んで川を眺めるなんてどうかしてる。
そう思って、小田は修造の指さす先を見て、ちょっと目を細めた。
陽の光が流れる水に反射して、目を打ち抜くように輝いている。川の水面って言うのはこんなに波立つものだったのか。そんな小学生じみた発見を今更した自分に少し悔しくなり、唇は勝手に「変な奴」と小声で呟く。
「なぁ小田」
「何」
「この川の水ってさぁ、どこから来るんだろうな」
「は?」
「結構あるよな、量。ほら流れも速いし」
そう言って修造は腰を上げ、流れる川の上流の方に身を乗り出した。確かに、言われてみれば水量も多く、流れも割と速い。この川は川幅も太いから、流水量は結構なものだろう。
「こんだけたくさんの水、どんどん流れてって上の方では平気なのかな」
「君はそんなことも知らないのか」
「ん?」
「川の上流にはダムがあるんだよ。梅雨や冬の間に雨水や雪を溜めておいて、春から夏の間に流すんだ。なくなりそうになったら水門を調節すればいいんだから、平気に決まってるだろ」
「へぇー」
呆れたように言ってやったのに、相手は特に気を悪くした様子もない。「そっか、ダムか」等と呟いてしきりに感心している。悔しがりもしない修造に小田は拍子抜けしたが、やはり悪い気はせず少しだけ溜飲を下げることができた。
「お前、結構物知りなんだな」
「中学生なら当たり前だ」
「じゃあさ、ダムより上は?どうなってんの?」
「え?」
「俺さぁ、ニュースとかでダム見たことあるんだけど、ダムの前にまだ細い川があるんだろ。その細い川の先っぽはどうなってるんだ?」
「それは・・山からわき水が出たり、溝みたいな所に雨水が集まって流れるようになってるんだろ」
多分。と小さな声で付け加える。川の水は山から来る、と知識として聞いたことはあるが、実際見たことはないので本当にわき水や雨水が集まるのかどうか、確証はない。
それでも修造は、「ふーん、わき水か」と呟きながら頷く。しかし小田と同じように明確なビジョンは浮かばなかったらしく、その眼差しは完全に納得がいっていない。小田はまた少し、悔しい気持ちになる。

「じゃあ俺行ってみよう」
「は?」
急に吐き出された空元気な声に、小田は落ちかけていた視線を引き上げた。
「もうすぐ夏休みだし、自転車で上流の方に探検だ。川の生まれるところまで行ってみる」
修造は威勢よろしく、上流に向かって挑戦するように人差し指を突きつける。小田はその勢いに押されて少し仰け反った。しかしすぐに体制を立て直し、果敢に常識的な忠告を口にする。
「松谷、きみ地図見たことあるのか?他の県から流れて来てるんだぞ。一日やそこらで帰ってこれるわけないじゃないか」
「あそうか。じゃあ寝袋もいるなぁ」
「野宿する気か?!」
「したことないの?」
「当たり前だ!君いつもそんなことしてるのか?!」
「小六の頃キャンプのときに」
にぃ、と邪気もなく笑う。
からかわれているのではない。それは分かっているのに小田はどんどん腹が立ってくる。
「川の生まれる所なんて、図書館にでも行けば調べられるだろう。なんでわざわざ行ってみる必要があるんだよ」
そう聞くと、修造は嬉しそうににんまり笑う。

「会いたい子がいるんだ」
「?」
想像を大きく外れた素っ頓狂な返答に、小田は呆気にとられた。
「それがどう関係してくるんだ」
「わかんね。関係ないかも知れないけど」
行ってみたらなんかあるんじゃないかなぁ。そう言って笑う。
奇想天外な言動に似つかわしくない、確信的な表情で。

「・・・ほんとに・・・足りないんじゃないのか・・・」
正常なコミュニケーションを諦めたように、小田は一人ごちる。 ん?と聞き返す修造に、なんでもない、と返した。
馬鹿馬鹿しい。こんな奴の心配をしたって、自分が疲れるだけだ。そろそろ帰ろう。
そう思って顔を上げると、同じ高さに修造の横顔があった。
キラキラと、先程よりもさらに橙がかった川面の光が、修造の瞳にうつる。彼は川を眺めながら、
微かに微笑みを浮かべていた。
「―――――」
小田は何も言えない。
目の前にいるのは、素っ頓狂な行動が次から次へ出てくる、兄弟道場の変な奴。だけど。
その顔つきは数ヶ月前のそれとはすこし違う。何か大切なことを決意したものが見せる、落ち着いた、
それでいて力強い眼差し。自分にはできない。
こいつは変わらない。でも変わった。少し。いやもしかしたらすごく。

何があったんだろう。彼は自分の知らない何かを経験して、自分の知らないステージへ行ってしまったんだ。
小田は目を細め、唇を噛みしめる。

悔しくて、悔しくて、――――羨ましくて、



「お前も行く?」
急にこちらを振り返られて、慌てて小田は我に返った。
「・・・どこに?」
「川の生まれるところ。見たことないんだろ?俺もだけどさ」
無邪気な笑顔で差し伸べられる、手。 理解を超えている。
「・・・・・・・・・・・」
僕が笑顔で、「行く!」とか。
言うとでも思ってるんだろうか。どこからそういう発想が出てくるんだろう。やっぱりこいつは、
何も考えてない。

「―――馬鹿じゃないのか」
悔しくて。
「実際見たことなくても、もう知ってる。そんな考え無しの計画に僕が乗るとでも思ってるのか?」
少しきつめの口調で言ってから、軽く後悔した。いつもそうだ、むきになりすぎる癖は治らない。

修造はぽかんとこちらを見る。小田は優位を保つために、そしてほんのわずかの謝罪を込めて、修造をにらみ返した。
すると相手は、意外にも、ふっと破顔した。
「お前やっぱ、似てるよ」
そう言ってまた、くすぐったそうに、でも少し痛そうに、微笑う。
「? 誰に」

「俺の、ともだち」

懐かしそうにそう言う修造がなぜだかまた気に食わなくて、小田はふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あ」
急に修造は、慌てた様子で川の方に目線を逸らす。
「?」
と、背後から軽い足音が聞こえる。振り向くと、正道館の門から制服姿のゆきが出てくるところが目に入った。
ゆきは修造と小田を見比べてから微かに、小田にしか分からないほど微かに小首を傾げた。
「・・・もう行く」
修造にともゆきにともなく、小田はそう呟いて傍らに置いてあった自分の防具袋を肩に担ぎ上げる。
「おう。またな、小田」
そう言って笑った修造は、もういつもの馬鹿面だった。
「松谷、次は一ヶ月後だ。それまでに、引き技くらいはできるように練習しとけよな」
捨て台詞。 堪えてもいない、はは、という軽い笑い声。
「いいんだよ。俺はこれで」







それから黙って、二人で川沿いの道を歩いていた。
傍らのゆきが黙っているのだから、自分も何も言う必要はない、というのはただの言い訳だろう。
今日の試合はどうだったとか、英訳の宿題はどうなったとか、それこそたわいもない会話の種はいくらでも転がっている。それでも意識はまだあの門前に置きっぱなしになっていて、口と思考が離ればなれになってしまったような、気持ちの悪い感じが続いた。
(お前も行く?)
行きたそうに、見えたのか僕は。
そうなのかもしれない。かっこ悪い。
けれど、小田がその子ども染みた冒険の計画を内心好ましいと思ったことも、それでいて無理矢理馬鹿にしたことも、それがばれてみっともないと恥じる気持ちさえ、全ては彼の頓着するところにはない。
あいつは変わらない。こんなことでは。
嫌いではない。分かっている。腹が立つのと嫌いなのとはまた少し違う。
にべもなく断って悪かったな、そう思う程度には嫌いではない。
だけど悔しくて腹が立つ。怒らせたくはないのに怒って欲しい。不思議だった。
「松谷君と、何を話したの?」
全て見透かされたようにそう聞かれて、小田は観念した。
「野宿の話」
「?」
「それと、僕に似た奴がいるって」
「ふぅん?」
ゆきは何を想像したのか、喉の奥からころころと笑い声を漏らす。ちぇっと小田は舌打ちをしながら、石ころを蹴飛ばした。



(この川の水ってさぁ、)
この川の先、どうなってるんだろう。
一ヶ月後にはもう8月だ。つぎに会ったときあいつは、川の生まれるところをもう見てきた後だろうか。
(会いたい子がいるんだ)
川の水の生まれるところで、その子に会えるとでも言うのだろうか。

(キラキラ光ってきれいだろ?)


「小田君?」
ゆきは怪訝そうに、急に立ち止まった小田の顔を見る。
小田は流れる川面を見つめたまま、言った。


「 きれいだな 」


ゆきは少しだけ目を見開いて、小田の顔と、視線の先を見比べた。
そしてふんわりと、微かに微笑んだ。

「うん、 本当に」




−終−














おそらく世界史上最初で最後の小田文。あの子の名前まで勝手に決めちゃったい。仕方ない、スタッフ用設定資料にも載ってなかったもんね。
意気込んで書いたはいいものの、後半ハイになりすぎてかなり電波な文章になってしまいました。結果まとまらず。
身近な自然美にもっと触れようぜ!というテーマ。(半分だけ) シュウと小田の会話はほとんど5月3日の佐々原と某友人の会話そのまんまです。
しかしその某友人は山を登って川の原点をその目で確かめてきたそうな。漢です。
シュウはこんなにポエムかましたりしなーい。と錯乱気味に批評する自分がいますが、逆にシュウだからこそポエムかませるのかも。と言い訳する自分もいます。
現代に帰った後のシュウ観は人それぞれですが、私のシュウ観として。

《悩んだ末の場の設定について》
小田とシュウの道場は違います。師範が友人同士で、一ヶ月に一辺くらいの頻度で交流稽古をしたり試合をしたりっていうのが一番常識的かな、と考えてそうしました。(佐々原の通ってた道場では実際そういうのがあったので)
あと、季節ですがシュウがヘリウッドに飛ばされたのが5月末くらいで考えています。(理由:さわやかだから)
シュウは4月の交流稽古であの子に一目惚れして、口を利いたりする間もなく速攻告ろうとしたという設定で。(理由:そんな感じだから)