〈冒頭部分より〉



    ジーワジーワジーワ
ジーワジーワジーワ
 ジーワジーワジーワ
 
 わんわんと木霊する蝉の声にシュウは眩暈を覚えて足を止めた。
まるで狭い地下道か、洞窟の中にでもいるような錯覚を覚える。ぶるん、と頭を振り、息を深く吸って吐いた。もちろん今自分がいる場所は地下道や洞窟などではない。
見上げると、濃く、深い緑色の葉でできた屋根が見える。遙か頭上に木々は悠々と葉を茂らせ、卵でも塗ったようにぴかぴかと光っている。ところどころ虫食いのように空いた隙間からは、とびきり鮮やかな青空が覗いていた。そこの部分の葉は陽光を反射して白く輝いている。
シュウの腹時計は正確だ。先ほどコンビニで買った握り飯を昼食に食べた。今は午後の一番暑い時間だろう。太陽は今日、最も強い熱と光を大地に降り注いでいる。
けれど今シュウのいる場所は分厚い夏の葉っぱで幾重にも遮られ、細かく千切れた光の欠片しか届かない。陽光の下に晒されるよりも数段空気はひんやりとして、洗練された感じがする。
「ふー、でもやっぱ暑っちぃ」
 手の甲で額の汗を拭いながら、シュウは一人ごちた。蝉の声が降ってくる。頭上高く、ありとあらゆる方向からいくつも重なって降りかかる声は、わんわんと反射して響いているように感じられる。
     
   ジーワジーワジーワ
ジーワジーワジーワ
  ジーワジーワジーワ
 
シュウは膝に手をついて、足下に目をやった。
 赤いスニーカーは、湿った枯れ葉と泥がくっついて汚れている。地面はじっとりと湿り気を帯び、柔らかな土の上に細かくなった落ち葉が幾重にも堆積している。まるで柔らかな絨毯の上を歩いているような感覚だ。
 よくよく目をこらすと、濃いえび茶色をした土の上に水が一筋流れているのが目に入る。それはほとんど流れとは言い難いものだったが、堆積した枯れ葉が水でしっとり濡れ、その通り道だけキラリと輝いていた。
「っしょっと!」
 シュウは背筋をただし、腰に手をやって、ん、と伸びをした。朝から道なき道を登り続け、心地良く疲弊した筋肉がぎしりと鳴る。
 深く深く、肺いっぱいに息を吸い込む。陽に照らされた緑と、湿気の匂い。
「もうすぐもうすぐ」
 空元気な声と共に、シュウは再び足を上へと運んだ。ゴム底に隔てられた足の下で、水で湿った土がぐずりと潰れる。
 きらきらと輝く水の通り道を辿り、シュウは大股で、山道を上へ上へと進んでいった。



〈真ん中部分より〉


 チリン、と風鈴の涼しい音色が響いた。今日は風がほとんどなく、まだ日中の蒸し蒸しとした熱気がそこら中に漂っている。日は傾いたが、暗くなるにはまだあと数刻必要だ。
 ゆきの家の庭に通された修造は、肩に担いだ防具入れも下ろさず、所在なげに立ちすくんでいる。小田は縁側に腰を下ろすと傍らに竹刀と防具を置いた。
「松谷、うろうろしてないで座ったらどうだ」
「ああ、うん」
 修造は背筋を正して縁側に座る。そうして背後にある和室の青畳や風鈴にそわそわと目をやった。
「何きょろきょろしてるんだ」
「いや、俺、実は女の子の家に来んの初めてでさぁ……なんか落ち着かないっつうか……。お前は落ち着いてんな」
「そりゃ、僕は小さい頃から何度か来てるからな」
 そう言っても、小田もゆきの家に来るのは随分久しぶりだった。最後に来たのはどれくらい前だろうか。高校進学の話が出始める頃より少し前だったような気がする。
 落ち着かない様子の修造を置いておいて、小田は目の前の庭を見渡した。拳ほどの大きさの石で囲まれた、手入れの行き届いた花壇が地面に並んでいる。
和風に作られたゆきの家にふさわしく、白く砂利を敷かれた花壇には水仙や曼珠沙華の花が整然と咲き誇っていた。縁側の脇に立てかけられた簾には朝顔の蔓と、何か小田には分からない、白いつぼみの付いた草の蔓が巻き付いていた。庭の片隅では、椿の木が冬に向けて葉を休ませている。
 夏の盛りだというのに、雑草のひとつも見あたらない。この美しく整った庭園は、ゆきと母親の、毎日の献身の賜物だった。

「お待たせ」
 背後からゆきの足音が聞こえてきて二人は振り返った。制服姿のままのゆきは、重たそうな図鑑を何冊か抱えて縁側に膝をついた。髪留めを取り、胸のあたりまで伸びた長い髪の毛に風をくぐらせている。
修造は目を丸くしながらゆきの髪の毛に見入っている。小田は何かそれが気に入らず、図鑑を一冊手にして広げて見せた。







そんな感じです。
あの子(小田の彼女?)の名前は「ゆき」と捏造しています。