雨の下に歌え
地面を叩く雨音は、心地よく耳朶に木霊する。
ナブカはうつむいて、流れる雨の軌跡を辿った。
目を瞑ると世界は閉じて、雨音だけが頭の中にいつまでも響く。
永遠とも思えるような閉塞。
その音だけは好きだ、と思った。
ヘリウッドは今、短い雨期にある。
もっとも雨期とは名ばかりで、一年を通して雨が降ることなど二日もあればましな方だった。
昨年はついに一度も雨粒を拝むことが出来ず、二年越しの恵みの到来に国全体が色めき立っている。
兵という兵は手にありったけの器を持って、降り注ぐ雨粒を逃すまいと右往左往していた。
こういうときは、全ての任務も訓練も二の次だ。
器に水が溜まるまでの間、兵達は全身で雨粒を受け止め、埃を洗い流し、その潤いに酔いしれ、踊り騒ぐ。
上層部もそれを咎めるようなことはしない。このときばかりはと
兵達のお祭り騒ぎを容認していた。
天の采配ばかりは、誰の手も及ばない。
厚い雲に覆われた空の下、全ての生命は潤され、高揚と歓喜の熱に包まれていた。
ぱしゃり、と、バケツの中で雨粒が跳ねる。
雨の降り込まない軒下で、ナブカとブゥは腰を下ろし、ただバケツに水が溜まるのを
眺めていた。
軒下に取り残された二人の肩は、先程バケツを出すときに外へ出た為、薄っすら濡れている。
半端に湿らされた布地は次第に冷えて、二人の体から体温を奪っていった。
「・・・ねぇナブカ、行かないの?」
痺れを切らしたように、ブゥは隣のナブカに声をかけた。
軒を叩くぱらぱらという音に混じって、雨の中躍る少年兵達の喧噪が遠く耳に響いた。
少年達は今、多分一人残らずこの雨の中を転げ回っているのだろう。
そこは雨の中だというのに、寒々しいこの軒下に比べ、熱気と高揚に満ち溢れている。
それなのに
「行かない」
頬杖をつくナブカは、憂鬱の浮き彫りになった声色でそう答える。
跳ね返りの水滴が作る薄霧の中、躍る人々の姿はまるで見知らぬ異国の情景のように映った。
「なんで?」
「雨は嫌いだ」
「・・・・・・」
ブゥは一瞬、不思議そうにナブカを見た後、ふぅん、と小さく相槌を打った。
そうして目の前の光景に目線を移す。
薄煙にけぶる視界。
ブゥの目には、今すぐにでも飛び出して雨にその身を浸したいという羨望の輝きが見て取れた。
ぱしゃり、とバケツの中にまた水が溜まる。
湿気た空気で肺の中を洗うように、ナブカは深呼吸した。
「行きたいなら、お前だけ行って来い」
「・・・うん、でも――――」
ブゥはちら、とナブカを顧みて、口籠もる。
そして結局、手を軒先に差し出して、指先だけ雨粒に浸した。
「・・・ねぇ、どうして嫌いなの?」
手のひらで雨粒を受け止めながら、ぼそりとブゥは尋ねた。
こんなに心地いいのに、という響きが、その疑問の端々に浮かんでいる。
ナブカは少しためらってから、口を開いた。
「濡れるのが、嫌だ」
「どうして?」
その問いが含む無邪気さの中には、ナブカの柔らかい部分を突いてくる鋭さがある。
ナブカは薄く濡れて冷えた自分の肩を、ぎゅっと掴んだ。
「――――さぁな」
短く答えて、ナブカは目を閉じる。
ブゥはナブカの世界から自分が遮断されたことを知り、
また黙り込んだ。
雨の音に包まれる。
まるでこの世界には自分だけしか存在しないかのような、
幸福で空虚な錯覚すら覚えた。
冷えた肩が重くて、ナブカは小さく身震いする。
濡れるのは嫌いだ。
重く湿った布地。が、肌に張り付いて動くたびに不快感を催す。
まるで返り血を浴びたみたいな気分。
重苦しくまとわりつく液体。ぴりぴりと肌を刺激して、
汚れてしまったような不快な気分になる。
ぱしゃり、という音が聞こえた。
跳ね返りの水滴が頬に当たって、再び小さく身が震えた。
冷え冷えとしたその感触。
濡れるのは嫌いだ。
ずじゃっ、と、泥を踏みしだく音がした。
「陰気だな」
目を開けると、予想通りの人物が視界を塞ぐように立っていた。
手にはなみなみと雨水の張られたバケツを持っている。
長いこと雨の中にいたその体はどこもかしこもずぶ濡れで、雫の与える興奮に包まれ
高揚しているのが分かった。
「自分の葬式の予行演習でもしてるつもりか?」
「・・・・・・・・」
ブゥは横からタブールを睨み付ける。
ナブカはその姿をうつろに見遣った。
「中途半端に浴びるからいけないんだ」
訳の分からないことをいったかと思うと。
タブールは手に持っていたバケツを振りかぶり
ばしゃん!
ナブカの脳天めがけて中身を思い切りぶちまけた。
あまりの出来事に、ブゥが驚いて悲鳴を上げる。
ずっしりと重たい水が全身を浸す。ナブカは暫し呆然とした。
「目が覚めたろ」
空のバケツを放って、タブールはにやにや笑う。
「お前みたいな奴は一度全部洗い流してもらった方がいい」
ぽたり、と髪の毛の先から水滴が滴った。
どうしてこんな仕打ちを受けるのかもわからないまま、沸々と怒りだけがナブカの中に沸き上がる。
「この―――!」
身を起こして相手の胸倉を掴み上げる、と、靴の下で泥の滑る感触。
「!・・・」
「うわっ・・・!」
平衡を崩した二人は、もんどり打って泥の中に倒れ込んだ。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
尻餅をついたまま、泥にまみれた顔を見合わせる。
茶色く汚れたタブールの顔に、降り注ぐ雨粒がいくつもの筋を作るのが見て取れた。
温かな雨が、自分の頬にも降り注いでいる。多分自分もこいつと
おんなじ顔をしてるのだ。
毒気を抜かれてしまったように、ナブカは汚れた顔をほころばせた。
一瞬むっとしたタブールも、つられて破顔する。
一歩踏み出してしまえばなんて事はない。
世界とはこんなものだったのか。
なんだか馬鹿馬鹿しくなって、笑いがこみ上げてきた。
慌てて雨の中に出てきたブゥも、くつくつと笑い声をたてる二人の顔を見て、
ほどけるように微笑った。
「洗うか」
そう言って先に立ち上がったのはタブールだ。
いつもより柔らかなその表情。
それはこの恵みのせいだろう。
「行こうナブカ」
ブゥがナブカの袖を引っ張る。
濡れた髪が額に張り付いている。
ナブカは軒下のバケツを振り返った。
立ち上がって、半分ほど水の溜まったバケツに手をかける。
ぱしゃりと音を立てる温かな水を、
今度は自分の手で、思い切り頭から被った。
ブゥが笑う。
ぷは、と息をつく。肌を滑り落ちる水の感触がこそばゆくて、
ナブカも少し笑った。
顔を汚す泥はすっかり流されたようだ。
先程まで感じていた重苦しい、乾いた気分も、少し。
何を頑なになっていたのだろう。
この雨は何もかもを洗い流し、大地に返してくれる。
埃も、泥も、返り血も、この体に溜まった嫌なもの、全てを。
恐れていただけだ。単純なことだったんだ。
雨の下へ出ていこう。
躍るような足取りで、三人は温かな雨粒の下へ舞い戻った。
頬を叩く雨音が、耳朶に心地よく木霊する。
ナブカは目を閉じ、天を振り仰いだ。
せめてもう一度バケツに水が溜まるまでの間くらいは
この雨に降られていてもいいだろう。
−終−
今住んでいるところは、夏の前くらいに夕立が多く、土砂降りに降られることが何度かありました。
ここの夕立は超弩級の勢いで、初めの頃はずいぶんと泣きを見ていましたが、そのうち時期になると大きめのビニル袋を持ち歩く技を覚えました。
夕立が来ると、手荷物を全部そこへ放り込んで雨の中へ躍り出ます。
溝があふれかえるほどの土砂降りの中、ずぶ濡れになって自転車に乗るほど新鮮で爽快なことはありません。
濡れるのが嫌なのは、心に引っかかる余計な荷物があるからです。
荷物を捨てて身一つで躍り出れば、雨の中で歌う事なんて誰でも簡単。
というような事が書きたかったのですが、ちょっとナブさんが繊細すぎるかなぁ(汗)。
ないかもしれないけど、三人でのやりとりが好きなんです。とりあえず。
・・・ふと気になったんですけど、腰のとこの銃は無事だったんでしょうかね。火器ずぶ濡れ。
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