郷愁
−Nostalgia−   〈5〉







いっそ起床時間にも寝坊するくらいに、ぐっすりと眠り込んでしまおう。
そう考えていたのに、嫌でも目が冴えて寝られたものではなかった。
すでに周りは全員爆睡している。
いくつものいびきが、まるで合唱しているようにリズムよく耳に入ってくる。今その一つとして参加できないのはなかなか辛いことだった。
          
あれ以来、ナブカの様子には一切変わりがなかった。いつもと同じ調子、いつものペース。
武器庫でのことは何か自分の勘違いだったのではないかと、単に口先だけでからかわれたのではないかと、そんな気がしていた。
でも、第3ボイラー室の隣、倉庫・・・・。
妙に生々しい言葉ではっきり覚えている。それが気になっていっこうに眠くならない。
     

突然、さらり、と衣擦れの音がした。心臓が止まりそうになる。
入り口付近の誰かが、身を起こし部屋を出ていく気配。いびきの合唱の中でもわかってしまう。
ナブカだ!本気か?!本当に出ていった!
タブールは毛布を頭からかぶり、こっそり恐慌状態に陥った。
冗談だ。いつもの憎まれ口だ。なんでそれくらいのことがわからない?
そんな非難とも後悔ともとれない文句が、頭の中をぐるぐる巡る。
          
でも、と、ある一つの可能性に思い至った。
俺がこうしてパニックになるのを見て笑おうという魂胆だろうか。
俺の挑発にあんまり腹が立ったものだから、そのまんま冗談を真に受けた振りをして俺をびびらせようとしているのかもしれない。
もしそうなら、なめられるわけにはいかない。
タブールは身を起こした。
何にしても、逃げ腰になっていることを悟られるわけにはいかなかった。ナブカにだけは、なめられたくない。
向こうの挑発に乗ったふりで、ちょっと押し倒してやれば向こうも慌てて抵抗し出すだろう。
そうしたら笑ってやればいい。やっぱり坊やだな、と。
よし、と心の中で気合いをいれて、タブールは音を立てないよう細心の注意を払って寝台わきのはしご段を降り始めた。




第3ボイラー室は、2つ下の階の西の端にあった。
兵士達が眠っても、ヘリウッドは眠ることがない。
ヘリウッド内に約200程あるボイラー室は、夜でも低いうなり声を上げ、休むことなく各所に動力を送り続けていた。
人気のない廊下を通り西の端に近づくに連れ、ごぅんごぅんというボイラーのうなり声が大きくなる。
そしてうなり声が大きくなるに連れ、自分の心臓の音も大きくなるように感じた。

第3ボイラー室の隣、倉庫の扉の前。
本当にナブカはこの中にいるのだろうか。
タブールはノックをしようとして、馬鹿馬鹿しいのでやめた。
取っ手に手をかけ、静かに引く。
ギィィィィと軽く錆びた音がした。しかしその音はあまりに大きく感じられたので、タブールは慌てて中に入り、再び
ゆっくり扉を閉めた。
    
ごぅんごぅんという音がさらに強くなった。壁一枚隔てた向こうでボイラーが鳴いている。
室内は真っ暗で、右も左も分からないくらいだった。はぁ、と一つ息をつく。
「やっと来たな」
暗闇の中、少し離れたところから声がして、タブールは飛び上がりそうになった。
しゅっと何かをこする音がして、闇の中にぼうっと人の顔が浮かぶ。よく見ると、見慣れたナブカの顔だ。
ナブカはマッチの火を、棚の上のランタンに移した。
とたんに暗闇は収縮し、世界は橙色の光に照らされる。
倉庫の中は思ったほど荒れていなかった。
奥の方には、以前兵達が使っていたものであろう本棚や机が所狭しと詰め込まれており、手前の方には、少し古ぼけたカーペットやマットレスが適当に積んであった。
ここは使わなくなった家具を放り込む部屋らしい。
ナブカは右前方の、小さなチェストに腰掛けてこちらを見ていた。
いつもの無表情。だけど橙の光に照らされて、いつもより少しおかしく見える。
それでも、少なくともこれから自分をからかったり笑おうとしているようには見えない。
そのことにタブールは愕然とした。

ナブカは、足下にあった椅子の脚らしき棒きれを拾って、こちらに放った。
タブールは慌ててそれを拾い上げる。
「それで閂をしろ」
タブールは少しためらったが、言われるままに両扉の取っ手に棒きれを渡す。
部屋に入ったときに感じていた密閉感が、一層増した。
「ここ、少しうるさいけど、この音のおかげで少し騒いだくらいじゃ周りに聞こえやしない。うってつけだろう」
ナブカはじっと、タブールから目を離さない。その目に、オレンジ色の炎が映って揺らめいた。
ごぅんごぅんといううなりの中、ごくりとつばを飲み込む音。それは自分の発した音だ。


何を言ってるんだ。
何を考えてるんだ。
どこまで本気なんだ。
冗談だというなら今のうちだぞ・・・。

        
「いつまで突っ立ってる?こっちへ来い」
タブールの思考とは裏腹に、ナブカの声はどこまでも冷静だった。
できるだけ平静を装って、ナブカの前まで歩み寄る。
タブールはナブカを見下ろす形となった。その目の中にはまだオレンジの炎が踊っている。

ここは異界だ。
閉じられた橙の空間。埃の匂い。耳をつく単調な機械音。目の前にいる、いつもより少しおかしいナブカ――――――すべてがタブールの感覚を麻痺させる。
喉はすでにからからだった。ようやく絞り出すように声を出したが、かすれて途切れ途切れにしかしゃべれない。
「・・・ナブカ・・・・・お前、本」

「なんだ、誘い方も知らないのか」
くす、とタブールの言葉を遮って、ナブカが笑う。口の端をほんの少し吊り上げて。
「やっぱりまだ、坊やだな」
その挑発に、タブールの頭にカッと血が上った。
「てめぇっ!」
ナブカの胸ぐらを力任せにつかみあげる。
だが、ナブカはまったく抵抗しようとはしない。だらりと手足を弛緩させ、頭を後ろにのけぞらせる。
はっとした。

自分の拳の近くにある、ナブカの華奢な首筋に目がいった。
橙の光が揺らめき、それは妙になまめかしい光景に映る。
          
  「は」
  ナブカの唇が軽く、息をこぼした。




次の瞬間、無意識のうちにナブカの体をマットレスに押さえつけている自分がいた。


 俺は何をやってるんだろう

そう思ったのを最後に、タブールは考えるのをやめた。









   〈4〉へ  

〈6〉へ    












倉庫の扉、ここ書いてWebに上げる直前まで外側がノブで内側が取っ手という不可思議な構造になっていました。
ノブにかんぬき?!と気づいて、慌てて修正。危機一髪とはこのことです。
内側に鍵があれば良かったのですが、倉庫にそんなものねぇよなぁ、と途中で路線変更したのがまずかったようです。
なんかご都合な展開ですが、そしてそれがものすごい恥ずかしかったりしますが、仕方ない(泣)。
次はちょいと長いです。